美術を肴に酒をくらう!本書はそんな小気味のよい調子で語られる。東京藝大の非常勤講師を務める茂木健 一郎が藝大の学生と関わる中での徒然なる記録だ。
藝大の学生は世間と断絶された空間と時間の流れの中で生 活し、創作活動を行っている。四浪の末に藝大に合格した感動のあまり溢れ出した鼻水を、普段から持ち歩い ているビーカーに溜め続けているジャガーという男性、吃音でいつもジャガーを「四浪」と煽るハト沼。
茂木 健一郎は講師でありながら彼らのような学生と上野公園の都美術館前のベンチで酒を持ち寄り語り合い、時に 激しく議論をする。この時間をとても羨ましく感じてしまうのは我々のような美術にに関わる人間すべてに、「美 術について語り合う」という機会が著しく失われているからだ。
体系的な美術の知識や理論は、インターネッ ト上で容易に得ることができる。それらを自分の中に作り上げるだけではただの知識の集約に過ぎず、人間ら しい、芸術表現を行う上での感性的な魅力は生まれないのだ。知識や理論を越えた先にある感動を、茂木健一 郎は「クオリア」という現象学に基づく言葉で表現した。
クオリアは言語化できず、記号化できず、マーケッ トにも乗らない。子供の頃に友達とプールに入った時のくすぐったさのような、初デートの前のそわそわした 気持ちのような、記憶の中できらめく体験に極めて似通ったものである。このクオリアをポップに昇華するこ とこそが、芸術表現であると茂木健一郎は語る。
そうなのだ。語られなかった言葉、言い足りないもどかしさ。 内部でつねに生み出される溢れるエネルギーを美大・藝大性は持っている。作品と自分で解決するのではなく、 自分が本来持ち合わせるクオリアを他人と共有し、ときにぶつかることで自己完結でないものへ、つまりポッ プへ昇華されていく。藝大性は酒を交えて筆者と語り合う中で何かを見つけられたかはまだ分からない。
しかし、 彼らが大学生的な葛藤を多少奇妙なかたちで昇華しながら自身のクオリアを育てていく様子は彼らの生み出し た作品をより魅力的に見せるのだ。
written by : nm